努力は何かに結びつく
どうも、意地でもcan't と言わない高野です。
今回は「努力は何かに結びつく」について
まず、「何か」と表現しているのは、努力は必ずしも「直近の結果」に結びつくとは限らないから。
思えば、5年前の高校1年生のころ
当時は、ラグビー部でした。
毎朝起きたら「死にたい」と思ってました。
精神的・肉体的にもあれほどの努力は、絶対にできません。
んで、結論から言うと、何も結果に結びつかなかった。
Aチームになれるはずもなく、挙げ句の果てには途中で辞めました。
高野家は体育会系で、親父と姉の旦那さんは共に「ラグビー花園出場」の経歴をもち、「ラグビー部を辞める=一族の男ではない」と同じ
親戚一同が体育会出身の起業家ということもあり、一族としての誇りというか重圧は強く、「なぜ俺は生きているのか?」と考えながら、訳も分からず一晩中走ってた記憶が多々あります。
しかし、今思えば「ラグビー部時代の努力」が無ければ「今の高野悠」はいないと断言できます。
なぜか?
また、ラグビー部時代と同じような結果になるようなら、次こそは死のうと思っているから。
ちょっと過激かもしれませんが、これが事実です。
逆に言えば、こう思わせてくれる「ラグビー部時代の努力」は、自分の一番の財産です。
辞めたと伝えたときの親戚たちの顔と、肉体的な苦痛は、置き換えることができません。
だから、「努力」はどんな形であれ「何か」に結びつきます。
さて、今日も名言で締めたいと思います。
Steve jobsの名言です。
「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。」